パーツの良し悪しは別として、40年何を考え、何を目標
に、どう生きたかが『顔』に現れるということで、意義
ある生き方をしているか否かを問われる・・ということ
なのでしょう。
想いが眼に、意志が口に、勢いが顔ツヤに・・というよう
な事なのでしょう。
齢はとうに過ぎて頬が緩み、目じりは下がり重たそうな私。
精悍という言葉の対極にいることを恥じいるばかり。
座禅の講釈を学生時代にしていただいた柳瀬有禅先生。
締まった精悍な顔つきも、笑われると皺の中に眼が埋没し
て好好爺そのものでしたが見てしまいました。ふと目線を
外された時の氷のように冷たく厳しく光る眼を・・。
以来脳裏に焼きついています。そして以後そんな眼をした
人にお目にかかったことがありません。
重いものを背負い自身に課しておられたものと思います。
あこがれにも似た印象的な瞬間でした。

この顔は悲しみに堪えた顔である くるしみに堪えた顔である
人の世の様々な批判にじっと堪えた顔である
そしてひとことも弁解をしない顔である
どんなにくるしくても どんなにつらくても けっして弱音を
吐かない顔である 絶対にぐちを言わない顔である
君看よ 双眼の色 語らざれば 憂い無きに似たり
君看よ 双眼の色 語らざれば 憂い無きに似たり
小東 正洋